今日の給食
9月14日(水)給食
今日の献立は、ごはん、牛乳、さんまのかば焼き、もやしと小松菜のおひたし、ピリからみそ汁でした。
さんまは秋が旬の魚です。漢字で書くと「秋」「刀」「魚」と書くようにさんまは刀のように鋭く、細長い魚なので、この漢字ができました。脂がたっぷりのった秋のさんまには、栄養もたっぷりあります。良質なたんぱく質、血液をつくる鉄分、粘膜を強くするビタミンA、骨や歯に欠かせないカルシウムと、その吸収をよくしてくれるビタミンDなどが多く含まれています。
9月13日(火)給食
今日の献立は、野菜ラーメン(ホット中華めん)、牛乳、えびとポテトのからあげ、ミニトマトでした。
えびは現在知られているだけでも約3000種あるといわれ、日本産のえびだけでも伊勢えび、車えび、大正えび、芝えびなど約700種あります。えびは、たんぱく質が豊富で、低脂肪なのでアスリートやダイエット中の人にはぴったりの食材です。
9月12日(月)給食
今日の献立は、食パン、いちごジャム、牛乳、コーンサラダ、チリコンカンでした。
チリコンカンは牛肉や豚肉と玉ねぎを炒めて、インゲン豆の水煮やトマト、ピーマン、チリパウダーなどを加えて煮込んだスパイシーな料理です。給食では大豆を使用しているため良質なタンパク質と鉄分をとることができます。また、ひよこ豆やレッドキドニーなどの大豆以外の豆を使ってもおいしくいただけます。
9月9日(金)給食
今日の献立は、こうのとり伝説米のご飯、牛乳、さばの塩焼き、里芋そぼろ煮、お月見汁でした。
明日は十五夜なので、今日はお月見にちなんだ給食でした。十五夜のお月見は、平安時代に中国から日本に伝わり、庶民の間に広がったのは江戸時代に入ってからと言われています。もともとのお月見の意味合いは、無事に稲を収穫できた喜びを分かち合い、感謝する日だったそうです。
9月8日(木)給食
今日の献立は、ソフトフランスパン、牛乳、鶏肉のパプリカージュ、こふきいも、ウィンナーとレンズ豆スープでした。
パプリカは苦みがほとんどなく、甘みがあるのが特徴の野菜です。完熟した赤パプリカの実を乾燥させ、種を取り出して、粉にしたものが「パプリカパウダー」で、今日のパプリカージュに使っています。
9月7日(水)給食
今日の献立は、ひき肉ともやしのあんかけどん、牛乳、チンゲンサイのスープ、ハニーピーナッツでした。
チンゲンサイは中国から伝わった野菜で、日本では30年ほど前から本格的に栽培されるようになりました。チンゲンサイの「チンゲン」は「茎が緑色」、サイは「野菜」という意味です。シャキシャキした歯ごたえがあり、色もきれいでくせがなく、炒め物、煮物、汁物などいろいろな料理に使われます。カロテンやビタミンC、ビタミンEが多いので、風邪や病気になるのを防ぐとともに、かかってしまったときにも早く治るように働いてくれます。
9月6日(火)給食
今日の献立は、いなかうどん(じごなうどん)、牛乳、にんじんしりしり、こくとうむしパンでした。
今日の給食に、沖縄県の郷土料理「にんじんしりしり」が登場しました。『しりしり』は沖縄の方言で、にんじんを千切りにすりおろす時の音「すりすり」を表しています。沖縄では大人から子どもまでみんなに親しまれている料理です。
また、デザートは黒豆の入った黒糖蒸しパンでした。黒豆は、畑の肉と呼ばれる大豆と同じくらい、成長に必要なたんぱく質、カルシウム、鉄分を多く含んでいます。皮が黒いのが特徴で、これはアントシアニンという成分です。目の疲れを回復させる効果があります。
9月5日(月)給食
今日の献立は、パエリア、牛乳、オムレツ、夏野菜スープ、冷凍みかんでした。
「夏野菜」は夏に収穫される野菜の総称です。夏野菜には、ほてった体を内側から、クールダウンする水分やカリウム、ビタミンなどの栄養素がたっぷり含まれています。夏野菜を積極的に食べて、暑さに負けない体作りをしていってほしいと思います。
9月2日(金)給食
今日の献立は、ライスボールパン、牛乳、きのこスパゲティ、チキンナゲット、イタリアンサラダでした。
今日のライスボールパンは、埼玉県産の「彩のかがやき」という米粉と小麦粉の一部に埼玉県産の「さとのそら」という種類を使っています。また、パンの真ん中には砂糖よりも粒が大きく、食感を楽しむことができる「ざらめ」がついています。今日は、モチモチしていてほんのり甘い、ライスボールパンを、みんなでおいしくいただきました。
9月1日(木)給食
今日の献立は、トマトカレー、牛乳、こんにゃくいり海藻サラダでした。
今日は給食初登場のトマトカレーライスです。これはお隣の北本市で2011年に北本のご当地グルメ開発コンテストで優秀賞になり、その年の第9回埼玉B級ご当地グルメ王決定戦で見事優勝し、その後何年にもわたりB級グルメ大会やカレー大会で上位に入っているものです。北本市では大正時代末期から昭和18年ごろまで全国に「石戸トマト」と名を響かせたとても珍しいトマト産業がありました。
当時の日本ではまだトマトを食べる習慣がなく、種をアメリカに輸出するためだけに作られていました。今では数軒の農家がトマトを作っているだけですが、当時の産業を思い出すとともにトマトで町おこしをするために考えられたものです。